アートの歴史-昔の日本の彫刻観と絵画観について2-

こんにちはtonmaです。

アートの歴史-昔の日本の彫刻観と絵画観について2-


前回
https://tonma2017.at.webry.info/201808/article_5.html

の続き

飛鳥初期の彫刻について 

から

なんといっても

仏教美術ですかね、やっぱり

渡来仏がやってきて
仏師も来ていて

盛んになってきます。

くらつくりのとりという仏師の作品が有名ですね。

かんたんに言うと作風は

シンメトリック

顔の表情はまだ絵画的(自然ではない)

衣文が過剰


これまでの大陸系の仏像の要素と新たな展開が含まれた基準となる
作家です。



仏教美術の流れはその後の彫刻の展開に大きな影響を与えます。



この後、空海とかが出てきまして、彼が持ち込んだ密教は曼荼羅とか三鈷杵とか
目立ちますが、

ここにはインド方面の南方とかの仏教の色が入っています。

こちらはそれまでの仏像と違って、ちょっとリアル表現が入っています。
今までよりもより立体的な造形。身体の動きも。
民族的にほりの深い顔立ちが仏像の造形に影響をもたらしたと思います。

そもそも釈迦の教えと像を作ることとは本来関係ないんですけどね。
これは欧米の神像信仰の影響といわれています。

ただ、私が思うに
神は神自身に似せて人を作った

という説は、逆に言って
人の姿は神に近いものだという論理でもあると思います。

いわゆる神に似ている→人間は優れている存在

欧米の人間中心主義はこの辺がポイントですね。

話がちょっとそれました。


それまでの造形とは違う価値観
つまり、

そうした像を伝来させたことの意味は大きいと思います。

上皇、天皇が認めたことも大きい。




ここから平安の定朝※じょうちょうにつながり



鎌倉の慶派、運慶とかの流れですね。

運慶のあたりでリアリズムの一つの到達点ですよね。

金剛力士像は勿論、無著・世親※むちゃくぜしんの兄弟像はみごとです。

その前に四天王像とかも作っているみたいですね。
四天王像は修復されていて当時の作風がどこまでなのか
ちょっとわからないですね。

ただ、運慶はそのお父さんもなかなかの仏師だったみたいですが、
それ以上の天才ですね。特異点。
どこでその造形観を得たのか。

平安時代の定朝以降の頃って、定朝の作風が素晴らしすぎて
定朝以降も、その作風を真似した仏像づくりの要請がすごかったらしいですね。

そうした中で、仏師の中で
違うものを作りたいとか、
定朝よりも優れたものを作るために定朝様式の
徹底的な研究を技術的にも思想的にも
したんじゃないかと思いますね。

まとにかく、運慶の造形はすごいです。
本当に。なんでそうなったのか。


鎌倉以降だと

どうなんだろうなぁ

私もあんまり詳しくないんですよねぇ



宗教的な造形は平板に近く
それ以外はリアルに近い造形

という流れになっていったのかな。

有名なところだと
千宗易が作った自分の像とかはリアル指向ですね。

後は着色が入ってきますね。
着色についてはまだ成功例はないですね。



江戸になると
自在置物といって

金工で昆虫とかの超リアルな可動式の立体とかが出てきます。

戦がなくなって、甲冑師が技術継承のためにやったとかなんとか。


で、だんだんいろいろ出てくるのかな。
根付とかね。

キャラクター的というか、動物とかの擬人化とかあったり、
3次元の中で遊ぶ感じですね。




ではまた次回、絵画の変遷とかふれていきたいですね。

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