アートの歴史-昔の日本の彫刻観と絵画観について-

こんにちはtonmaです。

日本の彫刻観と絵画観について


単刀直入に言いますと

日本において江戸時代末期に西洋の美術様式が本格的に入ってくるまで


彫刻はリアリズム

絵画は2次元表現



という方向性がはっきりしていました。



まぁ、今の時代に記録として作品が残っているものから
そういう見解なんですがね。

もしかしたら、歴史の中で異端といいますか、
他の表現方法が出ていたのかもしれませんがね。


先ず、

【縄文、弥生】

縄文、弥生とかから、古墳時代までって枠ですとものすごい時間差、地域差あったおもいますけれど。
今残っているのって、耐久性のある焼き物とか石加工物ですよね。

縄文のビーナスとかはかなり省略化された形ですよね。

省略可するっていうのは、いろんな人に

・漠然とした共通のイメージを伝えたいとき
・色んな解釈を求めたいとき


それと外形を伝えやすいんですよね。人に伝わるスピードも速い。
他人に説明するときは、情報量が少ないほうが正確に早く伝えられますよね。
特に見たものを言語化するのって。


時代は進み


【古墳時代】


飛鳥以降から現存する布製の平面作品が出てきますがまだここではないですね。たしか。
その理由は耐久性と、ほかの民族の文化が流入したんではないかと思います。

日本ってほとんど壁画って残ってないように思いますね。

気候のせいなのか?
相当、保存環境が安定していないと定着できないのかも。



後の時代の流れで見るとこの時期に

壁画が残っていない、布地の絵画も残っていないというのは
ちょっと文化の変化点だったのかなと思います。

政治的な変化とか、技術的な試みの開始点だったのか。
始めからその土地に向いてないとわかっていたら、
わざわざやらないでしょう。

もっと前に試していたと思います。
誰か別の文化人が来て試したのではないかと思います。

いわゆる空白期間にあたる時期ですね。



【古墳時代(末期)-飛鳥時代(初期)】

古墳の中に壁画が出てきます。

観賞目的ではないんですけどね
キトラとか、タカマツヅカとかはね。


いわゆる平面てのは壁画から始まり、布に行って、紙に移行するんですね。
運べるようになっていく。

そこの技術の伝わったタイミングがこの時代だったのかな。
また、物理的な保存の限界とかも。

すぐに巻物状の絵画が出てきます。
この技術の変遷は大陸からの流入でしょうね。




※アジアの歴史でみるともっと古い時代の布の平面の作品は各所で残っています。
気候とかの理由もあるでしょうけど、保存されるための環境であったかどうかはポイント。
戦争で滅ぼされない安定した政治の国であったかとかね。
負けた国の文化ってのはまぁつぶされますからね。

関係しているのではないかとおもいます。




絵画の描かれ方も平面的です。線画。
いわゆる象徴的な取り扱いですね。
単純化していることで、鑑賞者に共通のイメージを伝えやすい。
政治的な意図を感じます。

このころの絵画は芸術的なものではなく、新聞とか本に近い存在のように思います。

彫刻は
仏教の流入によってかなり様相が変わってきますね。


そのへんについては
ではまた次回つづきを。

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